gushgush’s blog

猫たちの下僕として従事しながら、シルバーアクセサリーブランド“gush”の作家をしております。

なんでもやれる

むかしむかしのその昔、ぼくが通ってたデザイン学校を卒業したばかりのころの話し。

デザイン学校では卒業するにあたり、『卒業制作』といって、これまでに培った技術や知識や感性といったものを総動員して作品を生み出す一大イベントがあります。

ぼくは、以前のブログにも書きましたが、授業そっちのけでゲーセン行って波動拳鉄山靠のコマンド入力してたくらいの "ダメなヤツ" でした。

 


なので、技術や知識の幅は大して広がってはいません。

 


だけど、学校に入ればそれだけたくさんの人たちと出会うのでその人たちの影響もあってか、知らない世界を知ることによって感性はいろいろと広がったり歪んだり(笑)していきました。

 


「ヘタウマ」といわれる漫画や「エログロ」と呼称される世界があることを知ったのはこの学校の人たちがいたからでしょう。

 


おかげでぼくは陰鬱な世界にのめり込んでいきました。

 


当時のぼくにとって最高のお薬でした(笑

 

 

 

そんな折、どこでだったか忘れましたが、偶然、仲が良かった高校の同級生「 H 」に会ったのです。

 


Hもデザイン科の学校に通ってたことは知っていたので、卒業制作について聞いたりしていると、「見に来る?」という展開になり、久しぶりにHの部屋にお邪魔することになりました。

 


そこには陰鬱な世界とは真逆の(笑)華やかなポップアート風のB全作品がありました。

 


色彩豊かで細部に至るまでしっかり意志のある作品でした。

 


「すごいねえ!よおやったねえ!」とぼくはHを称賛しました。

 


するとHは、そんな言葉を何度も浴びてるのか「みんなそう言うけど、例えば、この1センチ四方を一日かけたらできるでしょ?」、と。

 


ぼくは、目からウロコな思いで「なるほどたしかに!」と膝を打ったことをはっきり覚えています。

 


その同級生Hの言葉を聞いて以来、ぼくはその言葉をよりどころにしています。

 


なにか制作していて壁にぶつかったと感じたとき、少しづつでも地道に手を進められています。

これを読んだ人で「なるほどね」と思った人はこれからなんにでも挑めると思います。

 

 

1センチ四方を積み重ねるだけですから。

 


ぼくもこの同級生Hの言葉でなんにでも挑んでいます。

※但し好きなことに限る(笑

 

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とりあえずやってみる

やりたくもない仕事を我慢して続けていませんか?

 

もしそうなら、そんな仕事はすぐに辞めることをオススメします。

 

そんな精神状態は、隠しているつもりでもいっしょに仕事をしている人たちには筒抜けですし、そうなると人間関係もだんだんと悪くなっていき、結果、居心地の悪い職場環境になり、とにかくなにもいいことはないので。。

 

だからとっとと辞めてしまった方がいいです。

 

 

やりたくもない仕事を辞められたとしても生きていくためにはお金が必要なので、お金を稼ぐために仕事はしなければいけない。

 

求人案内を見て、採用条件や、労働時間、労働環境、そういったものをいろいろ見比べて、また手近なところで仕事に就いて我慢の日々を送りますか?



今の世の中はネット環境が発達しているので、その気になれば自分からたくさんのことをたくさんの人たちに向けて発信することが出来ます。

 

これを活用して自分がやりたいことを仕事にして、やりたいようにやってお金を稼いでいけばいいのです。

 

でも、みんな、そんなことは百も承知の筈。

 

知っていても踏み出せずにいるだけです。

 

その気持ちはよくわかります。
ぼく自身もそうだったので。

 

 

"人生は一度きり"

 

 

やってみたいことがあるのなら、やらないという選択肢はない。

 

ためらってる時間すらもったいない。

 

"覚悟" なんて大それたモノ、いらないです。

 

とりあえず踏み出してみましょう。

 

そうすると、なんとなく道が拓けるもんです。

 

なんとなくでも道が拓けばいいんです。

 

ぼくは本来めちゃくちゃ腰が重い人間ですが、なにかをするとき、なんとなくでもいいからとりあえずとりかかるように意識しています。

 

前に進むためにはアクションを起こす以外ないので、この “なんとなくやってみる" ことを結構重要視しています。

 

なんとなくやってみてなんとなく拓けた道、そこからはじまりです。

 

最初は小さな小さな一歩でも、いずれは日本全国、そして世界に、自分の歩みを少しづつ少しづつ認知させていく。

 

そんなゲームです。

 

考えただけでもわくわくしませんか?

 

ちびっこのころファミコンで遊んでて、はじめて次の面に進めたとき、これからはじまる未知の展開にわくわくしませんでした?笑

 

ぼくはgushをはじめるために開業届を出したとき、いよいよだな〜とわくわくしたのを覚えています。

 

できるだけたくさん作品を作って、その作品の魅力が少しでも伝わるように何度も撮影し、どんな想いを込めて作ったか、説明文を何度も何度も考えました。

 

そうして、ぼくが手掛けた作品をはじめて購入していただいたときのことをはっきり覚えています。

 

今、お取引きさせていただいてるお店からgushの作品を置かせてもらいたいとお声掛けいただいたときのことも覚えています。

 

あるときは、 "応援しています" とDMでエールをいただいたり、InstagramTwitterではたくさんの "いいね" をいただいたり、そうやって大小様々な成功体験が積み重なって、それが自信になって、ますますがんばろうって力が湧いてきます。

ほんとにありがたいことです。

 

こんな体験、やりたくもない仕事を我慢して続けてても決して得られないことだと思います。

 

とりあえずでもはじめてなければ得られない体験です。



ここまで、"なんとなくでもとりあえずはじめてみては?" と言ってきましたが、ぼくがgushをはじめるとき、"とりあえず" という気持ちではじめたわけではありません。

 

やらずに人生を終えるなんてことが我慢ならなかったからです。
見返してやりたい人間も何人もいます。
なにより、自分の分身ともいえる作品たちを、生きた証として残せることに最上の価値を感じているからgushをはじめたんです。

 

なにかをはじめたいけれどリスクばかりを考えてしまい、石橋を叩いて叩いて壊してしまってる人たち、たくさんいると思います。

 

そんな人たちに向けて、踏み出す一歩のきっかけになればと思います。

 

 

なにかをはじめるとき、そのときの想いは人それぞれでしょう。

 

その想いに恥じないように、誤魔化さないように、ちょっとづつでも進んでいけばいいと思います。

 

ぼくはそうしていきます。

 

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気持ちを昂らせる

アクセサリーは間違いなく生活必需品ではないけれど、でも、身に着けた人の人生を豊かにすることは間違いないと思うのです。

 

気分を高揚させたり鼓舞したり、逆に気持ちを落ちつかせたり、どんなアクセサリーでもそういった効果を身に着けた人たちに発現させると思っています。

 

ゲームのアイテムによくある“呪いのアクセサリー(笑)”でない限りは、身に着けた人の心に良い作用があることは間違いないと思います。

 

人の心に良い作用があるアクセサリーを作るということは、人の幸せに加担している、と、言えなくもない。

 

誰だって他の誰かの役に立ちたいと願うものだから「人の幸せに影響を及ぼすようなことをしている」という自負があれば自分をも幸せな気分にさせられる。



アクセサリー作家として順調に活動してるときはなんの問題もないが、モノを生み出すということは、同時に、“生みの苦しみ”が纏わりついてくるもの。

 

なかなか納得いくモノが生み出せないでいると、モチベーションが下がったり、意欲が揺らいだりすることもあったりします。

 

そんなとき、いわゆるスランプに陥ったとき、みなさんはどうしてるのでしょうか。

 

それでも作り続ける。
良いものを生み出せないので一旦ものづくりから離れて他のことに打ち込む。


など、スランプ脱出法は人それぞれでしょう。

 

ぼくはというと、とにかく気持ちが昂ることにふれるようにしています。

 

普段からなるべくそういうところに身を置くようにしようとは思っていますが、更に意識を強めて、絵画や彫刻などの芸術作品や、映画、音楽はもちろん、漫画、アニメ、フィギュアなどのサブカルまで、自分の心を揺すぶる存在にジャンルを問わずとにかくふれるようにします。

 

そういうものにふれて気持ちが昂り感動したあとには必ず「おれもやってやる!」と、鼻息荒くまたものづくりに挑むことができるのです。

 

この世の中には凄い人たちがたくさんいます。

 

凄い人たちが生み出した凄いモノにふれられる機会はたくさんあります。

 

直接ふれられる機会がなくても、スマホに潜っていろいろ検索して辿っていくと「ナニコレスゲー!」と、感化されるようなモノにぶち当たったりします。

 

すると、それらがインスピレーションとなって、アイデアが浮かんできたりするのです。

 

こんなことを繰り返していくうちに自分の表現の幅がどんどん広がっていくのです。

 

ぼくもシルバーアクセサリー制作をはじめたころと比べると随分と表現力が豊かになったと感じます。



ぼくが当面の目標としていることは1000作品生み出すことです。

 

手が遅いぼくには結構大変な数字ですが、10000の作品を生み出す人もいますから、一体どれだけの才能に溢れているのだろうと呆れてしまいます。

 

そんな凄い人たちに追いつけ追い越せの精神でものづくりに励み、1000の作品を達成したころには、ひとつふたつの傑作が生まれて人の幸せに大いに加担するようになっているかもしれません。

 

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社会貢献

太陽がギラつくある真夏の昼下がりのビアガーデンに専門学校時代に仲が良かった連中10人ほどで集まった折、「社会貢献」という言葉がKの口から発せられた。


ぼくの専門学校での生活態度はあまり良いとは言えないものでした。

 

授業に行かずゲーセンで遊んでいて課題の提出が間に合わず、みんなに手伝ってもらったこともありました。

 

そんなぼくから見ても、正直、学生時代のKがそれほど意識高い系の人物だったとは思えなかった。

 

卒業してから身を置いてきた環境がKを変えたとしか思えない。

 

当時、「社会貢献」なんてまったくもって意識したことがなかったので、「こんなに差がついてしまったのか」と、衝撃混じりに、思った。

 

それ以来、頭の片隅に「社会貢献」の四文字が刻み込まれ「おれはどうやって社会貢献していこうか」と、だんだんと考えるようになっていった。

 

職に就き、所得を得て、税金を納める。
これだって立派な社会貢献だ。


かなり重度のアトピーで苦しんでる身内がぼくにはいる。

 

親戚同士で集まる行事があっても、彼はなかなか来れない。

 

アトピーで体調がすぐれないからだ。

 

親戚同士のこんなカジュアルな場ですら。

 

そんな彼が働きに出ることは、かなり高いハードルだろうと想像に難くない。

 

実際、引き籠もっている。

 

だから、さっき言ったみたいな、職に就き、所得を得て、税金を納める「社会貢献」は彼には出来ない。


「健全な精神は健全な肉体に宿る」と言われる。

 

きっと健全な精神状態にある人なら、「誰かの役に立ちたい」「困ってる人がいれば助けてあげたい」と、多くの人がそういう心持ちでいると思う。

 

だけど、アトピーによって体を痛めつけられている彼は、残念ながらきっと健全な精神状態ではないと思う。

 

「誰かの役に立ちたい」と思うより前に、「自分のことをどうにかしてくれ」と、思っているかもしれない。

 

きっと、やりたいことだってたくさんあるだろうに。


彼はシルバーアクセサリーが好きだとおばさんから聞いている。

 

ジャスティンデイビスというブランドのものが好きだと言っていた。

 

ぼくが作るシルバーアクセサリーはジャスティンデイビスとは随分毛色が違うが、シルバーアクセサリーであることには違いないから製造過程はそれほど大差はないだろう。


アトピーで苦しんでる彼は、その日の体調によって大きく左右される日常生活を強いられている。

 

体調が良ければ動けるだろうし、悪ければ体を横たえているだろうし。

 

だから、動けるときでいいから、ぼくのブランド“gush”のシルバーアクセサリー製作を手伝ってもらいたいという思いがある。

 

シルバーアクセサリーが好きなら、それを製作することだってきっと好きだと思う。

 

好きなら、少しくらいしんどくても乗り越えていける。


自分自身がそうだったから。

 

ワックス取りだっていいし、
取ったワックスの修正だっていいし、
キャストの湯道をヤスるのだっていいし、
ロウ付けだっていいし、
仕上げだっていいし、
全部任せられたら非常に助かるし(笑

 

でも、今は給料を払ってあげられない。


払ってあげられるほど売れてはいないから。

 

だけど、たくさん売れるようになってぼくひとりでまわしていけなくなったら、そんな状況になればきっと給料だって払ってあげられるようになってると思うし、そうなったら彼に声をかけて手伝ってもらおうと思ってる。


嫌とは言わないだろう、と、思ってる(笑

 

だから、たくさん売りたい。

 

たくさん売れるようになるために、最低条件として、身に着けたいと思ってもらえる魅力的なアクセサリーをどんどん生み出す必要が、先ずはある。

 

そして、最低条件よりももっと大切なこととして、生み出された魅力の詰まった”gush“のアクセサリーをたくさんの人たちに知ってもらうことこそ、最重要事項なのです。

 

これらをクリアするためにも自分の視野を広げる必要性を痛いほど感じています。

 

自分自身が視野の広い魅力ある人間なら、生み出すアクセサリーにもきっと魅力が詰まってる。

 

そのアクセサリーたちをどうやって世の中のみんなに広く知ってもらうか。

 

広い視野、優れた見識があれば、もっと確実にたくさんの人たちに伝わるのだろうと思うのです。

 

でも、今まで、授業をサボってゲーセンで遊んでいたような人間に、そんな高尚な能力が一朝一夕に身につくはずもない。


日本の社会人が一日にする平均勉強時間は 6分 というデータがあるそうです。

 

6分なんて、うちの猫たちとイチャついてればあっという間に経ってしまう時間だ。

 

勉強と言ったって数学や古文の勉強をする必要なんて全くない。

 

もっと生活に則したことを知るように興味を持つだけでも、随分取り込む知識の質・量が共に違ってくる。

 

それだって勉強だとぼくは思う。

 

そういうスタンスで勉強をしていく中にでも、きっと”gush“を世の中に広く知ってもらえるヒントが埋もれていると思うのです。

 

そのヒントをもとに行動した先に広がるであろう、ぼくが目指す「社会貢献」のひとつのカタチは、親戚の彼を巻き込むことです。

 


毎日毎日部屋に閉じ籠って陰鬱に生きるより、同じく部屋に閉じ籠るにしても、なにかに打ち込んで清々しく毎日を生きる方がどんなに幸せなことか。

 

そんなの火を見るより明らかです。

 

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自分の武器

ぼくはとにかくゲームが好きで、膨大な時間をゲームに費やしてきました。

 

小学生のころは同級生Mくんの親父さんに「樽水の高橋名人」と呼ばれたこともありました(笑

 

家庭用のゲーム機で時間を忘れどっぷりハマってやるのも好きでしたが、ゲームセンターの薄暗い灯りの中の気怠く退廃的な雰囲気に浸りながら遊ぶのも好きで、よく行ってました。

 

中でも対戦格闘ゲームが好きで、のちに格闘ゲームの新時代を切り拓いたと言っても過言ではないであろう、あの『バーチャファイター』には本当に膨大な時間とお金を費やしました。

 

バーチャファイター』は専用のカードを使ってプレイします。

 

そのカードをゲーム筐体に差込み、対戦成績や獲得したアイテムなどのデータを記録します。

 

さらに、各プレイヤーには実力に応じた段位が与えられ、同じ段位のプレイヤーと対戦し勝ち続ければ昇段し、逆に負け続ければ降格してしまいます。

 

つまり、一目でプレイヤーの実力が判断できるわけで、各プレイヤーは少しでも上の段位を獲得しようと躍起になるのです。躍起になって膨大な時間とお金を費やすのです。

 

その結果なにが残るかと言えば、、、ただゲームデータが記録されたカードだけ。。

 

当時は、現在のようにゲームがe-スポーツとして社会的に認知され世界規模の市場が存在していたわけでもなく、まだまだゲームイコール“悪”の世の中でした。

 

それでも、バーチャにどっぷりハマっているときはそんな世間の風評などどこ吹く風で、少しでも他の人より上手くなろうと時間とお金をそれに捧げていたのですが、あるとき、「もうこの辺が自分のプレイの限界なんじゃないか?」と、そんな思いが浮かび、今までは一体なんだったのかというくらい急激にバーチャ熱が冷めていきました。

 

そして、自分の人生においてなにも残らないことに膨大なカロリーを使うより、どうせならなにか生きた証を残したいと思いました。

 

では自分にはそんな証を残すことができるようななにかがあるのか?

 

その「なにか」を探すため、散々回り道を繰り返し、結局自分には「ものづくり」しかないと気づきました。

 

自分の「ものづくり」を世の中に太刀打ちできる武器に磨き上げていくしかない。


そう思いました。
そう覚悟を決めました。

 

「ものづくり」はゲームのように決まったプログラムなどなく、バーチャの段位みたいな分かりやすい評価基準もない。

 

「この辺が自分の限界なんじゃないか?」なんて思わせる甘い考えの壁も天井もなく、むしろ、そんなものがない分、創意工夫でどこまでも極め昇っていける。

 

この「ものづくり」という自分の唯一の武器から生み出された作品、すなわちシルバーアクセサリーが、世の中に深々と一太刀あびせるまで、どっぷりとハマって業物に鍛えてやろうと思います。

 

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作品に込めるモノ

”麓“という漢字が好きです。


字の見た目が上品で荘厳な感じ。
雄大なイメージ。
自然が息づいてるイメージからくる生命感。
”ふもと“という言葉の響き。


そういったものが、“麓”という字を目から脳へ送り込んだ一瞬間にバッと広がる感じが心地良くて好きです。


なにも思わず、なにも感じずただ読み流していく漢字が大多数の中、なぜか“麓” という漢字は特別にそう感じて目を留めてしまいます。

ぼくはシルバーアクセサリーを製作し販売しています。
そのため、雑誌やSNS上で多くの作家さんたちの多くの作品を注目しています。


自分とは方向性が違う多くの作家さんたちの多くの作品を毎日毎日目にしていると、「この作家さんのこの作品好きだな〜」「この作家さんはこの作品がいいよな〜」といった具合に、星の数ほどもある作品たちの中で自然と目に留まる作品があります。


作家さんの魂なのか、作品に宿った魂なのかわかりませんが、なんとなくそういった生命感みたいなものが感じられ目を留めてしまうのです。

ぼくのブランドgushは、"生命賛歌"をコンセプトに作品を生み出しています。


そのため、動物作品が多めになっています。


動物たちの躍動的な生命感、芸術的なフォルム、そういったものを自分なりの解釈で表現していきたいと思い作品づくりに勤しんでいます。


中でも、3匹の猫と暮らしている猫下僕兼彫金師のわたくしですので、猫作品にはちょっとした自負を持っています。


猫のかわいらしさ、あやしさ、しなやかさ、美しさ。


そんな猫の魅力をアクセサリーに落とし込むように尽力しています。


そうして自分が手掛けたアクセサリーが、誰かの目に留まってその人その人の趣味趣向といった垣根を越えて興味を惹くことができたらこんなにうれしいことはないです。


いつもそこを目指して ものづくり に勤しんでいます。


ぼくが”麓“という字に目を留めてしまうように、ぼくが手掛けたシルバーアクセサリーが誰かの目に留まって「コレいいな〜」と視線を釘付けにして心を根こそぎ奪えるような作品を生み出せるように、これからもシルバーアクセサリーに向き合っていきたいと思っています。

 

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彫金との出会い

彫金との出会いは23〜4歳のころ、通っていた某デザイン専門学校の放課後のクラブでした。

そのクラブはまだ発足されたばかりでメンバーも少なく、活動内容は彫金やレザークラフトといったものでした。

ぼくは当時、このデザイン専門学校を卒業していましたが、たまに遊びに訪れていたのでそのクラブの存在を知り、おもしろそうだし興味が湧いたので顔を出していました。

そのクラブには専門の知識や経験のある人がいなかったので、メンバーの5〜6人で試行錯誤しながらおもいおもいに作品づくりしていました。

知識も経験もないので場当たり的に完成まで漕ぎ着け、誕生したこの世にただひとつの逸品に愛着が湧かないはずもありません。

そうして、見事に彫金の魅力にハマっていきました。


ガンプラブーム真っ只中にあったぼくの幼少期はプラモデルづくりとともにあったと言っても過言ではありません。

近所の模型店には、改造されたガンプラジオラマがショーウィンドウに飾られており、それをじぃ〜っと眺め観察しては、「自分でも作ってみたい」と気持ちをかき立てられ、親にねだって買ってもらってました。

小遣いをもらえるようになり自分で買えるようになってからは少しづつ改造するようにもなり、このあたりから ものづくり のもう一段深い楽しさを感じるようになりました。

ガンプラづくりがベースにあったおかげか、彫金にはすんなりと入っていきました。

荒目・中目・細目のヤスリを買い揃え、サンドペーパーはガンプラづくりで使っていた#400・#600・#1000をそのまま使い、新たに#2000を買い足し、仕上げにはウィノールというペースト状のコンパウンドを使ってピカピカに仕上げては悦に入っておりました。

自分の作品も徐々に増えていき、その中の自信作を持ってシルバーアクセサリー店へ見せに行ったりもしてました。

ふりかえれば、なんの変哲もないオーバーレイのリングでしたが、情熱だけは並々ならぬものでしたのでまわりも自分も見えておりませんでした(笑


そんなことをしていたある日、老舗の某有名シルバーアクセサリーブランドが従業員を募集していたらしく、専門学校の職員の方がぼくを推薦してくれたのでした。

その方とぼくとはあまり接点はなかったのですが、それでも推してもらえたのはぼくが自分でいろいろ動いていてそのことが目に留まったからだろうと思います。

これもなにかの縁です。

面接のためにはじめて工房へ赴いたとき、緊張しながら扉を開けた瞬間、鼻から入った初めて嗅ぐ独特のニオイが全身を巡り気分が高揚したことを20年ほど経った今でもはっきり覚えています。

そして、採用していただき、ここから、いろいろと待ち受ける彫金人生の幕が開けたのでした。

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